浜木綿子と息子・香川照之の真実|壮絶な生い立ちと歌舞伎界襲名の葛藤
東大卒業後、香川照之は母と同じ俳優の道を選び、映画やドラマで圧倒的な演技力を見せつける名バイプレイヤーへと成長しました。しかし、心の奥底で燻り続けていたのは「自分を捨てた父・市川猿之助」という存在と、自らの体に流れる「澤瀉屋(おもだかや)の血」への執着でした。
20代半ばの香川が父の楽屋を電撃訪問した際、猿之助から「今の私とあなたは何の関わりもない。あなたは息子ではない」と冷酷に門前払いされたエピソードは広く知られています。しかし、2000年代後半に藤間紫が他界し、猿之助が脳梗塞で倒れたことを契機に、事態は急転します。
2011年9月、香川照之は45歳にして歌舞伎界へ進出し、九代目市川中車を襲名することを電撃発表しました。同時に、当時7歳だった実子・政明が五代目市川團子として初舞台を踏むことも明かされました。
この決断に対し、世間では「母・浜木綿子への裏切りではないか」「母子が絶縁したのではないか」という確執説が飛び交いました。かつて自分と母を捨てた歌舞伎界に、息子と孫が自ら飛び込んでいく構図は、傍目には残酷な選択にも見えたからです。
しかし、真相は異なっていました。浜木綿子は当初、強い戸惑いと複雑な感情を抱いたものの、息子の「我が子(團子)に澤瀉屋の名跡を継がせたい」という父としての強い覚悟を受け止め、「照之が決めたことなら、命懸けでやりなさい」と背中を押したのです。決して確執による決裂ではなく、母が息子の宿命を丸ごと包み込んだ上での受容でした。