大川小の悲劇、空白の51分に何が?裏山へ逃げ遅れた組織の病理
校庭のすぐ裏には、児童たちが普段シイタケ栽培や遊び場として慣れ親しんでいた緩やかな斜面の裏山があった。大人であれば数十秒、低学年の足でも数分あれば津波の到達高さを超える高台へ逃れることができた地形である。
それにもかかわらず山への避難が阻まれた最大の要因は、石巻市立大川小学校の「危機管理マニュアル」の不備にあった。当時のマニュアルに記されていた避難場所は「校庭または近隣の広場」。山沿いに位置する学校の実態に即した改訂は行われておらず、文部科学省のテンプレートを形式的に引き写しただけの内容にとどまっていたのだ。
「マニュアルに記載がない場所へ勝手に児童を誘導して事故が起きたら責任を取れない」――非常時においてすら、前例踏襲とマニュアル厳守を重んじる教育組織の硬直性が、現場の教員の足をその場に縛り付けた。裏山へ駆け上がろうとした教員と、それを制止した教頭との間で激しい議論があったとも伝えられている。だが組織のヒエラルキーが機能不全に陥った結果、最も安全な選択肢が排除されるという最悪の結末を招いた。