家康と信長が歩んだ美濃路の全貌!東海道と中山道をつなぐ歴史散歩
戦国時代、織田信長が清洲城を拠点に天下統一へ向けて躍進した時代から、この道は運命の鍵を握っていた。尾張と美濃を最短で結ぶ物流ネットワークは、軍事的にも極めて高い価値を持っていたのだ。桶狭間の戦いへ向けて出陣した信長の足跡、そして後に天下を掌握した徳川家康の行軍。二人の天下人が足跡を刻んだ街道は、日本の歴史において他に見られない特別な熱量を帯びている。
東海道の宮宿と中山道の垂井宿を連絡する位置づけは、参勤交代を行う西国の諸大名にとっても魅力的だった。鈴鹿峠の険路や七里の渡しの海上リスクを避ける迂回路として重宝された。名古屋、清洲、稲葉、萩原、起、墨俣、大垣、垂井。設営された宿場町は経済的に繁栄し、独自の本陣や脇本陣の文化を昇華させていくことになる。