崎陽軒の正しい読み方と由来|横浜名物が長崎を名乗る歴史の真相

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創業当初の崎陽軒は、サイダーや餅、寿司などを販売する一般的な駅の売店に過ぎませんでした。当時の横浜駅は東京から出発した列車が最初に停車する主要駅でしたが、乗客は東京駅で既に弁当や菓子を買い求めており、横浜駅での売れ行きは芳しくありませんでした。「横浜ならではの絶対的な名物を作らなければ、事業の未来はない」――そう直感した野並茂吉氏は、徹底的な独自商品の開発に乗り出します。

野並氏が着目したのが、当時から異国情緒あふれる賑わいを見せていた横浜中華街(当時の南京町)でした。中華街で突き出しとして出されていた点心「焼売(シュウマイ)」に目をつけた野並氏は、電車の中で食べる駅弁としての可能性を直感します。しかし、そこには巨大な壁が立ちはだかっていました。中華料理の点心は「蒸したての熱々」を食べる前提で作られており、冷めると豚肉の脂が固まって旨味が著しく損なわれてしまうのです。

野並氏は中華街の名点心師であった呉遇孫(ご ぐうそん)氏をスカウトし、二人三脚で開発に没頭しました。目指したのは「冷めても味が落ちず、むしろ冷めることで旨味が凝縮する点心」でした。豚肉の選定から練り込み時間、調味料の比率に至るまで、試行錯誤が繰り返された歳月は約1年。最終的にたどり着いた決定打が、乾燥ホタテ貝柱(干帆立貝柱)の出汁を豚肉の餡に練り込むという画期的な手法でした。

帆立貝柱に含まれる濃厚なグルタミン酸とイノシン酸が豚肉の旨味と融合し、冷めてもジューシーで深いコクを生み出すことに成功したのです。1928年(昭和3年)、ついに現在に続く「昔ながらのシウマイ」が産声を上げました。

田中 結衣

田中 結衣

デジタルマーケティングコンサルタント

グルメと旅を愛するフリーライター。全国各地の隠れた魅力を独自の視点から紹介します。