「東京」の漢字の秘密!画数・書き順や江戸改称の名付け親の真相

「東京」の漢字の秘密!画数・書き順や江戸改称の名付け親の真相の見逃せないポイントをわかりやすく整理しました。

約260年間続いた徳川幕府の本拠地「江戸」が、なぜ「東京」へと改められたのでしょうか。そこには日本の近代化と首都機能をめぐる極めて戦略的な政治判断がありました。

改称が正式に決定したのは、慶応4年(1868年)7月17日(同年9月に明治へ改元)に発せられた「江戸ヲ称シテ東京ト為スノ詔書」です。この詔書において、「東西同視」の理念のもと、古くからの都である京都(西京)に対して、東の拠点として位置づける意味を込めて「東京」と名付けられました。

では、この「東京」という名前を最初に生み出した「名付け親」は誰だったのでしょうか。歴史を検証すると、複数人のキーマンが浮上します。

1. 原案を生み出した思想家:佐藤信淵(さとうのぶひろ)
江戸時代後期の経世家・農学者である佐藤信淵は、文政6年(1823年)に著した『混同秘策』の中で、世界進出や国家防衛を見据えて「江戸を改めて東京と称し、京都を西京と称す」という構想を日本で初めて明確に提唱しました。

2. 明治新政府へ具申した推進者:大久保利通と前島密
明治維新の混乱期、明治新政府の首脳陣は京都から首都をどこへ移すかで激しい議論を交わしていました。その際、佐藤信淵の思想的影響を受け、大久保利通に対して「江戸遷都・東京改称論」を進言したのが、のちに日本の近代郵便制度の父と呼ばれる前島密(まえじまひそか)です。大久保利通もこの建議を強く後押しし、天皇の東幸(とうこう)と東京府の設置が実現しました。

佐々木 一輝

佐々木 一輝

ビジネス戦略アナリスト

Webメディアでの編集・執筆歴10年。読者の好奇心を刺激するストーリー作りを心がけています。