昭和天皇マッカーサー会談の全真相|写真と「全責任」発言の裏側
終戦直後の緊迫した情勢下において、アメリカ大使館会見の経緯は決して平坦なものではありませんでした。1945年8月30日に厚木海軍飛行場へ降り立ったマッカーサーは、赤坂のアメリカ大使館(現・駐日米国大使館)に拠点を構えます。敗戦国となった日本側では、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)による天皇の戦犯追及や皇室廃止への危機感が極限まで高まっていました。
一般的に「マッカーサーが天皇を呼び出した」と誤解されがちですが、実際には日本側(宮内省・外務省)からの打診によって実現した会見でした。昭和天皇自らが「敗戦の責任者としてマッカーサーに直接会わねばならない」という強い意志を示し、第43代内閣総理大臣・東久邇宮稔彦王や吉田茂外相らの周到な調整を経て、1945年9月27日午前10時、昭和天皇が赤坂のアメリカ大使館を公式訪問する形式が取られました。
会見は大使館2階の私邸リビングルームで行われ、同席したのは通訳を務めた外務省情報部長の奥村勝蔵ただ一人でした。完全な密室で行われた約38分間の会談において、昭和天皇は日本の破滅的な状況に深く胸を痛め、国民が飢餓に陥らないよう食糧援助を要請するとともに、戦争に至った経緯について率直な所感を述べたと伝えられています。