戦国時代の村は本当に弱者か?武装と自治を誇る驚くべき防衛の真相
戦国時代の戦場において、最も恐れられていた脅威の一つが「乱妨取り(らんぼうどり)」です。これは、戦場に侵入した雑兵や武士が、敵地の村落から食糧、家財、牛馬を強奪し、さらには女性や子どもを拉致して奴隷商人へ売り飛ばす行為を指します。当時の従軍記録や『多聞院日記』などの寺院記録には、乱妨取りと人身売買が生々しく記されており、戦争における兵士たちの主要な経済的インセンティブとなっていました。
この過酷な略奪から生命と家財を守るため、村々は驚くべき土木技術を駆使して防衛拠点を構築しました。その代表例が環濠集落と村の要塞化です。
奈良盆地の稗田(ひえだ)環濠集落や大阪平野の久宝寺(きゅうほうじ)などに代表されるように、村の周囲に幅数メートルから十数メートルの水堀や土塁を幾重にも巡らせ、出入口には頑丈な門と見張り櫓を設置しました。敵が襲来した際には、門を閉ざして弓矢や鉄砲で籠城戦を展開しました。さらに平野部の村だけでなく、背後の険しい山に村人専用の避難シェルターである「逃げ城(詰め城)」を築き、家財を隠してゲリラ戦を仕掛けるなど、武士団の略奪を撃退する高度な防衛システムを確立していたのです。