反町隆史の若い頃が国宝級!ジャニーズ時代からGto・現在比較まで徹底解剖
彫刻のように引き締まった精悍な顔立ちと、恵まれた体躯を誇る反町隆史。そのキャリアの出発点は、多くの人がイメージする「トレンディ俳優」の枠組みとは大きく異なり、下積みと呼ぶべき多様な現場経験からスタートしていました。
反町隆史の本名は野口隆史(のぐち たかし)。埼玉県浦和市(現・さいたま市)出身の彼は、中学時代に芸能界入りを果たします。最初期に所属していたのはジャニーズ事務所であり、当時は本名で活動していました。1988年、光GENJIの大ブレイクに伴い結成されたバックダンサーグループ「平家派(へいけは)」のメンバーとして、のちにTOKIOのリーダーとなる城島茂やV6の坂本昌行らとともにレッスンに励み、アイドル雑誌のグラビアや音楽番組のステージに立っていた経歴を持ちます。
しかし、自身が思い描く表現や将来の方向性を見据え、16歳でジャニーズ事務所を退所。その後、その圧倒的なプロポーションと野性的な鋭い眼差しを生かし、モデルエージェンシーに所属します。ファッション雑誌『MEN'S NON-NO(メンズノンノ)』や『CHECK MATE』などでトップモデルとして活躍し、さらには本場フランス・パリへ渡り「パリ・コレクション(パリコレ)」のランウェイを経験するなど、ハイファッションの世界で国際的なキャリアを築きました。
そして1994年、現在の所属事務所である研音へ移籍。ボクシングの元世界王者・龍反町(りゅう そりまち)にちなんで「反町隆史」という芸名を名乗り、ドラマ『毎度ゴメンなさぁい』で本格的な俳優デビューを飾ります。アイドルの枠に収まらず、トップモデルとして身体表現の基礎を磨き上げたこの黎明期の経験こそが、のちの圧倒的なスター性を支える強固な土台となりました。