加藤登紀子の夫・藤本敏夫の波乱の生涯|全学連トップから鴨川自然王国へ
藤本敏夫は1944年1月22日、兵庫県津名郡(現・淡路市)に生まれました。同志社大学商学部に進学したのち、学生運動に身を投じる中で除籍処分を受け、その後、明治大学文学部へ進学。共産主義者同盟(ブント)の再建に深く関わり、反帝全学連(全日本学生自治会総連合)の委員長として、1960年代後半の激化する大学闘争や羽田闘争の最前線に立ちました。
卓越した弁舌とカリスマ性で多くの若者を惹きつけた一方、街頭闘争や成田空港建設反対を叫ぶ三里塚闘争などでの激しい衝突により、警察当局から危険視される存在となります。1968年4月に凶器準備集合罪などで逮捕されたのを皮切りに複数回の検挙を経験。1972年には実刑判決が確定し、中野刑務所へ収監されることとなりました。
国家権力と真正面から対峙した苛烈な運動体験と獄中での思索が、のちに彼を「対立の政治」から「生命を育む土の思想」へと向かわせる決定的な転換点となったのです。