1940年幻の東京五輪はなぜ消えた?返上の真相と嘉納治五郎の執念

1940年幻の東京五輪はなぜ消えた?返上の真相と嘉納治五郎の執念とはどんな影響があるのか? 背景や要点を整理してお届けします。

1930年代初頭、オリンピックは欧米諸国だけの特権的な祭典でした。その高い壁を打ち破るべく立ち上がったのが、講道館柔道の創始者であり日本人初の国際オリンピック委員会(IOC)委員を務めた嘉納治五郎です。

当時の日本は、1940年が神武天皇即位から数えて2600年にあたる「紀元二千六百年記念行事」の祝典を控えており、国家的な威信を世界に示すシンボルとして五輪招致に白羽の矢を立てました。しかし、1930年代前半の国際情勢は満洲事変や日本の国際連盟脱退により極めて不安定であり、欧米のIOC委員たちの間には「極東の島国での開催など不可能だ」という根強い懐疑論が存在していました。

嘉納は老躯に鞭を打ち、持ち前の語学力と情熱的な外交手腕で世界中を行脚しました。1936年、ベルリンで開催されたIOC総会において、嘉納は「真のオリンピズムは欧米のみならず全人類を包含すべきである」と熱弁を振るいます。この渾身のスピーチが委員たちの心を動かし、最有力候補だったイタリアのローマを劇的な大逆転で破り、東京がアジア初の五輪開催地として正式決定したのです。

佐々木 一輝

佐々木 一輝

ビジネス戦略アナリスト

Webメディアでの編集・執筆歴10年。読者の好奇心を刺激するストーリー作りを心がけています。