なぜ小さな琉球がアジアを牛耳れたのか?海洋王国・貿易繁栄の真相
同時期、日本の室町幕府(足利義満以降)も明との間で「勘合貿易」を行っていました。しかし、琉球が明から受けていた優遇措置は、日本とは比較にならないほど破格でした。
日本に認められた勘合貿易は、「10年に1回、船は2隻まで」といった厳しい制限が課されることが多く、貿易許可証である「勘合符」の所持が絶対条件でした。政治情勢の悪化や倭寇の頻発によって貿易が長期中断することもしばしばありました。
対照的に、琉球は「1年に1回」あるいは「2年に1回」という高頻度での朝貢が許されていました。時期によっては年に複数回の渡航が黙認されることすらあり、持ち込める船の数や定員も格段に優遇されていました。
明の皇帝にとって、琉球は「最も忠実な模範的朝貢国」でした。領土的野心を持たず、軍事的な脅威にならず、礼節を尽くして皇帝の権威を高めてくれる琉球は、政治的プロパガンダとしても極めて都合の良い存在だったのです。この厚い信頼関係こそが、日本や朝鮮の追随を許さない独占的シェアの源泉となりました。