王政復古の大号令とは?大政奉還との違いや小御所会議の真相を解説
Q1:大政奉還と王政復古の大号令の違いを一番簡単に説明すると?
A1:大政奉還は「徳川慶喜が自ら政権を返上して主導権を残そうとした出来事」であり、王政復古の大号令は「倒幕派が幕府を完全廃止して徳川家から権力と領地を完全に奪い取ったクーデター」です。
Q2:王政復古の大号令の年号の覚え方は?
A2:西暦1867年(慶応3年12月9日)です。「人は胸騒ぎ(1867)王政復古」や「一夜(18)胸(67)騒ぐ」という語呂合わせがよく使われます。
Q3:小御所会議で決まった「辞官納地」とは具体的に何を意味する?
A3:慶喜が保持していた「内大臣」という高い朝廷の官位を辞任させ(辞官)、徳川宗家が持つ約400万石の天領(直轄領)の大半を新政府に返上させる(納地)処分を指します。
Q4:徳川慶喜はなぜ小御所会議に出席しなかったのか?
A4:倒幕派(薩摩藩・岩倉具視ら)が御所の門を軍事的に固め、慶喜をはじめとする親幕府派の公家や要人の参内・立ち入りを物理的に禁止・排除したためです。
Q5:王政復古の大号令から戊辰戦争(鳥羽・伏見の戦い)まではどのような流れだった?
A5:辞官納地に反発した旧幕府勢力に対し、西郷隆盛らが江戸で放火などの挑発工作を展開。旧幕府側が江戸薩摩藩邸を焼き討ちした事件を機に旧幕府軍が激昂し、京都への進軍を開始して「鳥羽・伏見の戦い」へ突入しました。