右衛門の読み方はなぜ二つ?「うえもん」「えもん」の違いと歴史の深層
今日ではお茶の銘柄や歌舞伎の代名詞として馴染み深い「右衛門」ですが、その起源はおよそ1300年前、大化の改新から大宝律令(701年)にかけて整備された古代国家の防衛システムに遡ります。
当時、天皇が暮らす宮城(平安京や平城京の内裏)の門を警護する国家最高峰の警備組織として置かれたのが「衛門府(えもんふ)」でした。唐の制度にならって左右に分割配置され、それぞれ「左衛門府(さえもんふ)」「右衛門府(うえもんふ)」と称されました。門の開閉管理から出入りする貴族・使節の身元確認、行幸時の警備までを一手に担うエリート武官組織です。
役所である右衛門府の名称が、なぜ一般の人名として日本中に普及したのでしょうか。歴史家や名字研究家の調査によると、その背景には大きく2つの歴史的画期がありました。
第一の契機は、奈良・平安時代に地方から徴兵され、宮城警護の任に就いた兵役(防人や衛士)の慣習です。3年におよぶ過酷な勤務を無事に終えて故郷へ帰還した兵士たちが、自らの武勇と国家奉仕の誇りを後世に伝える証として、配属先の「右衛門」を自らの通称や名乗りに取り入れたとされています。
第二の契機となったのが、中世武士階級における「百官名(ひゃっかんみょう)」の流行です。鎌倉時代から室町・戦国時代にかけて、武士たちは正式な官位を朝廷から受領していないにもかかわらず、自らの家格や戦闘力を誇示するために、実在する官職名を私称(勝手に名乗ること)し始めました。
長男には「太郎右衛門」、次男には「次郎右衛門」、親しい家臣には「弥右衛門」「彦右衛門」といった具合に、血縁や序列を示す文字と「右衛門」を合体させた名前が武家社会で爆発的に増殖します。江戸時代に入ると、この風習は豪農や豪商など裕福な庶民階級にまで波及し、名主や商人たちの間で格式ある名乗りとして確固たる地位を築きました。