昔のトイレの衝撃実態と変遷史!紙の代用品からぼっとん便所まで徹底解説
100万人規模の大都市へと発展した江戸時代、日本の衛生環境は当時のヨーロッパを遥かに凌駕していました。当時のロンドンやパリでは排泄物を窓から路上へ投げ捨てていたためペストなどの疫病が蔓延していましたが、日本を訪れた外国人宣教師や外交官の手記には「日本の都市は信じられないほど清潔である」と驚きをもって記されています。
その清潔さを支えていたのが、江戸時代のトイレと肥溜めを核とした徹底的な資源循環システムでした。江戸の町では、人々の排泄物はゴミではなく「下肥(しもごえ)」と呼ばれる貴重な有機肥料として農村へ高値で売却されていたのです。
長屋の共同便所に溜まった糞尿の所有権は家主にあり、農民が買い取る代金は大家の貴重な副収入となっていました。さらに、階級によって食べるものが異なっていたため、栄養価の高い食事をとっていた大名屋敷や武家屋敷の排泄物は「上等な肥料」として庶民長屋のものより高額で取引されたという記録も残っています。
農村へ運ばれた糞尿は、畑の隅に掘られた「肥溜め」と呼ばれる深さ1〜2メートルの穴や桶に貯蔵され、数ヶ月間発酵・熟成させて病原菌や寄生虫卵を死滅させてから農地に撒かれました。また、この時代には再生紙の製造技術が発達し、浅草周辺で作られた再生紙が昔のトイレ落とし紙とちり紙として庶民の間でも広く普及し始めます。水には溶けないものの、薄く柔らかい紙が排泄処理に使われる大きな転換点となりました。