班田収授の法の仕組みと崩壊理由|口分田から墾田永年私財法まで解説

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班田収授の法(はんでんしゅうじゅのほう)を一言で表せば、「国家が人民に田んぼを貸し与え、そこから税を徴収し、本人が死んだら国に返却させる」という土地管理システムです。「班」は分けること、「収授」は収める(回収する)ことと授ける(与える)ことを意味しています。

この制度の青写真は、645年の大化の改新で発布された「改新の詔」において提示された「公地公民の原則」に遡ります。それまで豪族たちが私有していた土地(田荘)と人民(部民)を国家(天皇)の管理下に統合し、中央集権体制を確立することが最大の目的でした。その後、670年の日本最古の全国戸籍「庚午年籍」、690年の「庚寅年籍」の作成を経て実務基盤が整い、701年の大宝律令の完成によって全国規模で本格運用されました。

実施期間としては、7世紀後半から9世紀初頭にかけて機能し、834年(承和元年)や846年などの班田記録を最後に、平安時代前期には事実上形骸化していきました。実質的な運用期間は約100年から150年程度だったと見られています。

基本的なサイクルは非常にシステマチックでした。国は6年ごとに「戸籍」を作成し、満6歳になった良民・賤民の男女に対して「口分田(くぶんでん)」と呼ばれる生活基盤の田を割り当てます(班給)。そして、その受給者が死亡した場合、次の班田の年に国家へその田地を回収(収授)するという厳格な循環ルールが敷かれていました。

渡辺 美咲

渡辺 美咲

ガジェット&アプライアンスライター

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