台湾で最も愛される日本人・八田與一の功績と夫婦の壮絶な真実
当時の台湾南部・嘉南平野は、約15万ヘクタール(四国にも匹敵する広大さ)に及ぶ土地を有しながら、雨季には大規模な洪水、乾季には極度の干ばつに見舞われ、沿岸部は塩害に苛まれる過酷な「看天田(天候頼みの不毛地)」でした。農民たちは極貧にあえぎ、泥水をすすって生きる過酷な生活を強いられていたのです。
この不毛の大地を救うため、八田は官度川(現・曽文渓)の支流を堰き止め、巨大な貯水池と網の目のような水路を張り巡らせる前代未聞の灌漑計画「嘉南大圳(かなんたいしゅう)」を立案。1920年(大正9年)から10年の歳月と総工費5400万円(現在の貨幣価値で数千億円規模)を投じた世紀の大工事が幕を開けました。
八田はさらに、限られた水を平野全域に平等に行き渡らせるため、土地を3つの区画に分けて「水稲・サトウキビ・雑穀」を3年周期で順番に栽培する「3年輪作給水法」を考案しました。これにより、特定の富裕層だけでなく、すべての小作農民が安定して収穫を得られる公平な農業インフラが確立されたのです。