班田収授の法とは?崩壊の理由と口分田の仕組み・変遷を徹底解説
Q1:口分田は売買や譲渡ができたのですか?
A1:原則として売買や譲渡、質入れは一切禁止されていました。あくまで「国家から一生涯借りている土地」であったため、本人が死亡した際は次の造籍年(6年ごと)に国家へ返還する必要がありました。
Q2:なぜ良民女子の口分田は男子の「3分の2」と中途半端な比率なのですか?
A2:当時の農作業における平均的な労働力差や必要とされる食糧消費量が考慮された結果とされています。また、女子には庸・調・雑徭といった重い人頭税が課されなかった点も面積差の背景にあります。
Q3:墾田永年私財法が出された後、班田収授の法はすぐに廃止されたのですか?
A3:即座に廃止されたわけではありません。平安時代初期(9世紀初頭)頃までは形式的に班田が行われた記録が残っていますが、荘園の拡大や戸籍制度の崩壊に伴って実態を失い、10世紀初頭には完全に停止しました。
Q4:公奴婢と私奴婢で口分田の面積が異なるのはなぜですか?
A4:公奴婢は官庁(国家)に属していたため良民と同じ基準(男子2段)で支給されましたが、私奴婢は貴族や豪族個人の財産・私有物として扱われていたため、良民の3分の1(男子240歩)という極めて少ない面積に制限されていました。