甲斐バンド『Hero』大ヒットの深層|テレビ拒否からオリコン首位へ

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1970年代後半の日本の音楽業界において、ロックやニューミュージックを標榜するミュージシャンたちは、歌謡曲主導のテレビ露出を頑なに拒否していました。当時、テレビの音楽番組はスタジオの固定オーケストラによる演奏が主流であり、劣悪な音響設備や短縮された演奏時間の中で、自らのサウンドを歪められることをアーティストたちが何よりも忌避していたためです。甲斐バンドもまた、デビュー曲『裏切りの街角』(1975年)のスマッシュヒット以降、ライブハウスやホールツアーを活動の主軸に置き、テレビ出演のオファーをことごとく断り続けていました。

その鉄の掟に風穴を開けたのが、TBS系の伝説的音楽番組『ザ・ベストテン』のプロデューサー・山田修爾氏をはじめとする制作陣の執念でした。1978年12月20日に発売された『HERO(ヒーローになる時、それは今)』は、年明けから急速にチャートを駆け上がり、1979年2月には同番組のランキング上位へ初ランクインを果たします。番組側からの連日の出演要請に対し、甲斐よしひろ率いるバンド側は「通常のスタジオ出演は絶対に受けない」という姿勢を崩しませんでした。

しかし、甲斐バンド側は単なる頑迷な拒絶ではなく、明確な出演条件を提示しました。それが「テレビ局のスタジオではなく、バンドが指定する外部会場からの中継であること」「録音テープの口パクではなく、完全な生演奏を行うこと」「自前のPA(音響装置)と専属ミキサーを使用すること」という、当時のテレビ界の常識では極めて異例な要求でした。番組側はこの前代未聞の条件を全面受諾。こうして1979年3月15日、東京・西新宿の超高層ビル街にそびえる新宿住友ビル(通称:三角ビル)の吹き抜けロビーから、歴史的な完全生中継が敢行されたのです。

冷徹なビル風が吹き抜ける深夜のビジネス街、数百人の熱狂的なファンに囲まれながら、甲斐よしひろはスタンドマイクを激しく揺らし、魂を絞り出すようにシャウトしました。テレビ画面を通じてお茶の間に届けられたその音像は、歌謡曲の予定調和を粉砕する本物のロックのダイナミズムそのものでした。この1回の中継が日本中に社会現象を巻き起こし、レコード店へのバックオーダーが殺到。同曲は1979年4月2日付のオリコン週間シングルチャートで堂々の1位を獲得し、最終的に累計売上約82万枚(公称100万枚超)という、当時のロックバンドとしては空前絶後のメガヒットを樹立したのです。

鈴木 陽菜

鈴木 陽菜

テックライター兼ウェブディレクター

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