賤ヶ岳七本槍・平野長泰はなぜ大名になれず旗本止まり?子孫の逆転劇

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平野家のルーツを辿ると、家系図上は桓武平氏の流れを汲む名門とされ、武勇に優れた血統を誇ります。長泰自身も数々の逸話が残る豪放磊落な武将でした。

江戸幕府の公式記録『寛政重修諸家譜』などにも記されている通り、長泰は妥協を許さない気骨ある武士でした。大坂の陣に際して家康の命に従いつつも、かつての主君である豊臣家を軽んじる発言を決して許さなかったと伝わります。利害打算で素早く徳川体制へ乗り換えた武将が多いなか、義理と恩義を捨てきれなかった長泰の生き様は、江戸初期の武士たちの間でも一目置かれていました。

元和7年(1621年)、長泰は63歳でこの世を去ります。大名にはなれなかったものの、大和国田原本の領民からは名君として慕われ、その領治の基礎は次代へと受け継がれました。

佐藤 大輔

佐藤 大輔

シニアコンテンツプロデューサー

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