敗軍の将・榎本武揚はなぜ明治政府で異例の大出世を遂げたのか?

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箱館政権において、榎本武揚と陸軍奉行並を務めた土方歳三は、互いの能力を認め合う強固な信頼関係で結ばれていました。生粋の幕臣エリートで国際派の榎本と、武蔵国多摩の農村出身で実戦部隊を束ねてきた土方。出自も気質も対照的な2人でしたが、旧幕府の誇りを胸に最後まで戦い抜く覚悟を共有していました。

宮古湾海戦での開陽丸沈没など戦況が悪化する中、明治2年(1869年)5月、新政府軍の総攻撃によって箱館市街が陥落。弁天台場の救出に向かった土方歳三が一発の凶弾に倒れると、五稜郭の防衛線は決定的な崩壊を迎えます。

五稜郭に孤立した榎本は、全軍討ち死による玉砕を覚悟しました。しかし、敵将である新政府軍参謀・黒田清隆からの降伏勧告を受け入れ、無駄な流血を避けて部下の命を救う道を選択します。明治2年5月18日、榎本武揚は五稜郭を開城し、戊辰戦争は幕を閉じました。

鈴木 陽菜

鈴木 陽菜

テックライター兼ウェブディレクター

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