栄光の陰で馬肉になった名馬たち|殺処分の歴史と引退馬支援の現在地
「競走馬 屠殺 噂の真相」を探る上で、避けて通れない2大事件が存在します。競馬界の構造的な暗部に世界的な衝撃を与えたのが、1986年の米ケンタッキーダービー馬ファーディナンドの悲劇です。米国でG1を制覇した超一流馬として鳴り物入りで日本へ種牡馬導入された同馬ですが、種牡馬引退後の2002年頃、繋養先を転々とした末に行方不明となり、最終的に肥育場を経て屠殺されていた事実が海外メディアの調査報道で発覚しました。この「ファーディナンド事件」は米タイム誌などでも大々的に報じられ、米国内で功労馬保護基金(ファーディナンド・フィー)が設立されるなど国際問題へと発展しました。
日本国内における象徴的な事例としては、1973年の「ハマノパレード事件」が知られています。同年の宝塚記念を制したハマノパレードは、続く高松宮杯のレース中に左前脚を骨折(粉砕骨折)。競走能力喪失の診断を受けた翌朝、治療ではなく食肉解体場へと移送され、翌日のスポーツニッポン紙上に「さくら肉用」として処分された旨が掲載されました。重賞馬の引退後の末路としてこれほど直接的にファンの目に触れた例はなく、当時の競馬ファンに凄まじいトラウマと倫理的議論を巻き起こしました。
重賞勝ち馬であっても、種牡馬としての需要低下や馬主の経済的事情、所有権の転売が重なると、競走馬が行方不明になる経緯を辿り、人知れず処分されてしまう――。これらは決して過去の誇張ではなく、経済動物としての競走馬が背負わされてきた過酷な現実を物語っています。