朝鮮通信使とは?江戸の平和を築いた使節団の全貌と家康の思惑

朝鮮通信使とは?江戸の平和を築いた使節団の全貌と家康の思惑について専門的な視点から解説いたします。詳細な分析をお届けします。

200年以上にわたり続いた朝鮮通信使ですが、1811年の第12回を最後に途絶えることになります。その廃止の理由には、深刻な財政問題と激変する国際情勢がありました。

第一の理由は、幕府および沿道諸藩の莫大な財政負担です。使節団の接待費用は現代の価値で数十億円とも試算され、道路や橋の整備、豪勢な食事の提供、警備の人件費などが幕府財政を厳しく圧迫しました。新井白石による正徳の改革時には接待の簡素化が図られましたが、回を重ねるごとに財政的な持続が困難になっていきました。

第二に、儀礼をめぐる対立と摩擦です。国書の文面や将軍の称号、接遇の格式をめぐって双方の儒学者間でプライドが衝突する場面が増加し、初期のような友好的な熱量は次第に薄れていきました。

第12回(1811年)には、経費節減のため江戸まで行かず対馬で儀礼を済ませる「易地聘礼(えきちへいれい)」へと変更。その後、19世紀半ばに入ると欧米列強の開国圧力が強まり、日朝双方が内憂外患の危機に直面したことで、通信使の派遣は自然消滅する形で幕を閉じました。

石川 優花

石川 優花

インテリア&ライフスタイルコーディネーター

心身ともに健康で持続可能なライフスタイルをテーマに、最新のウェルネストレンドを発信中。