太田光代の壮絶半生と現在!タイタン経営手腕と太田光との夫婦愛
1980年代後半、爆笑問題(太田光・田中裕二)は若手芸人のホープとして華々しくテレビデビューを飾りました。しかし、1990年に所属していた太田プロダクションから独立したことを契機に、芸能界の厳しい現実に直面します。事実上の活動休止状態、いわゆる「業界から干された」期間へと突入しました。
仕事が激減し、先行きの見えない絶望的な状況のなか、立ち上がったのが光代氏でした。「彼らの才能をこのまま埋もれさせるわけにはいかない」と決意した彼女は、1993年に芸能事務所「タイタン」を設立。自ら代表取締役に就任し、資金繰りから営業、スケジュール管理まで一人で担う怒涛の日々をスタートさせました。
当時の芸能界において、女性がゼロから芸能事務所を立ち上げ、大手事務所の圧力やしがらみを乗り越えて成功することは極めて異例でした。光代氏は、テレビ局のプロデューサーに頭を下げて回るだけでなく、ライブハウスでの自主公演を定着させるなど、地道に爆笑問題の居場所を再構築。その結果、爆笑問題は『ボキャブラ天国』ブームなどを経て再びお茶の間のトップへと返り咲いたのです。