平安時代は何年から何年まで?1185年説と教科書改訂の真相を徹底解説

平安時代は何年から何年まで?1185年説と教科書改訂の真相を徹底解説に関する疑問や疑問点をわかりやすくまとめました。詳細を読もうことができます。

平安時代の期間と特徴を正しく把握するためには、約390年間を一本の線で捉えるのではなく、権力構造が大きく変化した4つのフェーズに分割して観察することが不可欠です。以下に平安時代の年表まとめとして要点を再構築します。

第1期:平安初期(794年〜9世紀末)律令制の再建と天皇親政

桓武天皇は奈良の東大寺など既存仏教勢力の影響力を排するため、長岡京を経て平安京を造営しました。坂上田村麻呂を征夷大将軍に任じた東北地方への蝦夷征討や、最澄・空海による新しい仏教(天台宗・真言宗)の導入など、古代律令国家の体制立て直しを精力的に推し進めました。嵯峨天皇の時代には弘仁・貞観文化が栄え、唐風の漢詩や律令格式の編纂が進みました。

第2期:平安中期(10世紀〜11世紀)藤原道長と摂関政治・国風文化の爛熟

894年の遣唐使廃止(菅原道真の建議)を機に、中国大陸からの影響を消化した日本独自の美意識が花開きました。これが国風文化と源氏物語の時代背景です。紫式部の『源氏物語』や清少納言の『枕草子』、平仮名の普及など、現代の日本文化の礎が築かれました。政治面では、天皇の母方に位置する外戚関係を利用して権力を独占した藤原道長と摂関政治が最盛期を迎えます。「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の…」と詠んだ道長の専横は有名ですが、この時期に税制崩壊と地方豪族の自衛武装が進み、後の武士階級を生み出す温床となりました。

第3期:平安後期(11世紀後半〜12世紀半ば)院政の開始と武士の軍事動員

藤原氏と血縁関係の薄い後三条天皇の即位をきっかけに摂関政治が後退し、白河上皇による「院政」が幕を開けます。天皇の地位を退いた上皇(法皇)が政治の実権を握るシステムです。院は独自の軍事力として北面の武士を組織し、源氏や平氏といった軍事貴族を重用しました。これにより、地方の武装勢力に過ぎなかった武士が中央政界のキャスティングボブを握る存在へと急成長します。

第4期:平安末期(1156年〜1185年)平氏政権の栄華と源平合戦

保元の乱(1156年)と平治の乱(1159年)を経て、平清盛が武士として初めて太政大臣に就任。「平氏にあらずんば人にあらず」と言われるほどの栄華を誇りました。しかし、平氏は従来の貴族社会に同化する道を選んだため、地方武士層の不満を吸収しきれませんでした。源頼朝が挙兵し、5年間に及ぶ治承・寿永の乱(源平合戦)を経て、1185年3月の壇ノ浦で平氏は海の藻屑と消え去りました。

池田 達也

池田 達也

マネー&キャリアエディター

Webメディアでの編集・執筆歴10年。読者の好奇心を刺激するストーリー作りを心がけています。