田沢湖の黄金たつこ像はなぜ誕生したのか?伝説の真相と作者秘話を追う
田沢湖の湖畔にたつこ像が建立されたのは、1968年(昭和43年)4月12日のことです。当時、観光開発が進む田沢湖のシンボルとして像の制作を委嘱されたのは、日本を代表する敬虔なカトリックの彫刻家・舟越保武(ふなこし やすたけ)氏でした。
舟越氏は後年の回想録や取材において、当初この依頼に対して強い葛藤を抱いたことを明かしています。観光地にありがちな単なる客寄せのモニュメントを作ることを嫌い、湖の荘厳な自然と共鳴する「純粋な祈りの造形」でなければ引き受けないという確固たる信念を持っていたためです。モデルには実在の若き女性を起用し、誇張された肉感性を削ぎ落とし、すらりとした清冽な立ち姿を追求しました。
多くの来訪者が抱く「なぜ金色なのか」という疑問には、芸術的必然性と過酷な環境的要因という2つの明確な理由が存在します。
第一の理由は、田沢湖の水質問題です。田沢湖は1940年(昭和15年)の発電および農業用水開発に伴い、近隣の玉川温泉から強酸性の河川水(玉川毒水)が導入された歴史を持ちます。これにより湖水は長年強い酸性を帯び、かつて生息していた固有種「クニマス」が絶滅(後に山梨県・西湖で再発見)するほど過酷な環境へと激変しました。通常のブロンズ(青銅)像を水中に据えれば、金属イオンの化学反応によって急速に黒ずみ、緑青や腐食で朽ち果ててしまう懸念があったのです。耐久性を確保し、水質の浸食から像を保護するための防蝕技術として、表面への金箔押し(特殊金箔加工)が不可欠でした。
第二の理由は、視覚芸術としてのコントラストです。田沢湖の湖水は、深度がもたらす光の散乱によって「田沢湖ブルー」と呼ばれる極めて深いコバルトブルーを誇ります。背後にそびえる秋田駒ヶ岳の鬱蒼とした原生林と濃紺の湖水の中に暗いブロンズ像を置いても、風景に埋没して輪郭が失われてしまいます。舟越保武氏は、暗鬱とも言える湖面の青と補色関係に近い黄金色を纏わせることで、湖上にポツリと現れる神聖な光を演出し、自然の深淵に対峙する存在感を際立たせたのです。