保守思想の巨人・西部邁が遺した衝撃の警鐘と現代を生き抜く知見
1988年、西部邁は東京大学教養学部教授の職を自ら投げ打った。経済学部から招聘された中原伸之の教員人事問題を巡り、保守的かつ硬直化した教授会の閉鎖的な意思決定に激怒した末の行動だった。最高学府の象徴的な椅子をあっさりと捨て去る潔さは、当時の知識人社会に強烈な衝撃を与えた。
象牙の塔に安住することを激しく嫌った西部の本質は、一貫して「野良の知識人」であったことだ。組織の論理に絡め取られず、自らの信じる政治哲学と美学のみに従って生きる。東大辞任という劇的な事件は、彼の理論と実践が完全に一致していたことを証明する象徴的な一幕として語り継がれている。