土方歳三に妻はいたのか?生涯独身の理由と許嫁・子孫の真相検証

土方歳三に妻はいたのか?生涯独身の理由と許嫁・子孫の真相検証の基礎知識と応用に迫る! 専門的な視点でご紹介しています。

土方歳三の青年期から新選組結成期にかけての記録を辿ると、特定の女性との具体的なエピソードが史料や親族の証言から浮き彫りになります。

最も確度の高い婚約相手として知られるのが、日野宿の宿役人を務めた橋本家の娘「お琴(こと)」です。歳三が浪士組として上洛する前、両家の間で内々の縁談が整えられていたと伝えられています。しかし、歳三は「天下が定まるまでは家庭を持たない」という決意を胸に江戸を旅立ち、文久3年(1863年)の上洛以降、二度と故郷の土を踏むことはありませんでした。結果としてこの約束は果たされず、自然消滅の形をとることとなりました。

一方、新選組が治安維持を担った京都時代には、副長としての激務の傍らで数々の浮名を流しています。中でも有名なのが、島原や祇園の芸妓であった「小糸(こいと)」や「君菊」といった女性たちです。当時の花街において、武芸に秀でた美男子であった歳三は女性たちの羨望の的であり、京都の有力商家や花街の女性たちから熱烈なアプローチを受けていました。

この事実を雄弁に物語るのが、元治元年(1864年)に歳三が郷里の義兄・佐藤彦五郎や親類へ宛てて送ったとされる「モテ手紙」の真相です。手紙の中で歳三は、京都の芸妓や舞妓から送られてきた大量の恋文を小包にして実家へ送り届け、「報国心あるがゆえに女性の誘惑には溺れていない」と弁明しつつも、自らの人気の高さを報告しています。手紙には「島原の芸妓より恋文多数」「祇園の舞妓からも言い寄られ困却」といった生々しい記述があり、現代の研究者の間でも「過酷な任務の合間に見せた若者らしい誇示の心理」として注目されています。

松本 悠斗

松本 悠斗

サステナビリティ研究家

マネー知識やキャリア形成に役立つノウハウを、初心者にも分かりやすく解説するのが得意です。