トーニャ・ハーディング事件の真相と現在|永久追放から波乱の歩み

トーニャ・ハーディング事件の真相と現在|永久追放から波乱の歩みの要点を丁寧に掘り下げてご紹介します。

1994年1月6日、リレハンメル冬季五輪の全米選考会を兼ねた全米フィギュアスケート選手権の練習拠点、デトロイトのコボ・アリーナで事件は起きました。リンクから引き揚げてきた優勝候補筆頭のナンシー・ケリガンが、突如現れた覆面の男に伸縮式警棒で右膝上を殴打され、泣き叫びながら崩れ落ちたのです。氷上に響き渡った「Why me?(なぜ私なの?)」という悲鳴は、テレビを通じて全世界に放映され、社会に強烈な衝撃を与えました。

ケリガンの負傷棄権により、同大会で優勝を果たしたのはトーニャ・ハーディングでした。しかし、歓喜の時間は長くは続きませんでした。連邦捜査局(FBI)の迅速な捜査によって、実行犯のシェーン・スタントと謀議を進めていた黒幕として、トーニャ・ハーディングの元夫であるジェフ・ギルーリーと、自称ボディガードのショーン・エッカートの名が浮上したのです。

取り調べが進むにつれ、首謀者グループはケリガンの脚を骨折させて五輪出場を物理的に断念させる計画を立てていたことが判明しました。報道各社の取材データによると、ギルーリーらは事件直後からトーニャの関与を主張し、「彼女も計画を事前に知っていた」と供述。これに対し、ハーディング自身は「事件の事前計画は知らなかったが、発生後に元夫から事実を聞かされ、恐怖から通報を遅らせてしまった」と主張し、真っ向から対立しました。結果として、このナンシー・ケリガン襲撃事件は、全米を二分する泥沼の疑惑劇へと発展していったのです。

池田 達也

池田 達也

マネー&キャリアエディター

Webメディアでの編集・執筆歴10年。読者の好奇心を刺激するストーリー作りを心がけています。