後藤組解散の真相と後藤忠政の現在|除籍の内幕からカンボジア生活まで
後藤組の創設者である後藤忠政(本名:後藤忠正)氏は、1942年(昭和17年)、東京都荏原区(現・品川区)に生まれました。祖父は戦前の政財界で名を馳せた人物であり、母方は旧幕臣の家系という名家の血筋を引いています。しかし、終戦直後の混乱期に一家は静岡県富士宮市へ移住。父親の事業失敗や家庭環境の激変という過酷な生い立ちのなかで、忠政氏は若くして夜の街へと身を投じることになります。
地元の不良グループを束ねた後、三代目山口組系の有力組織であった菅谷組傘下・川内組に加入。1969年(昭和44年)、自らの組織である「後藤組」を富士宮市で結成しました。これが、後に列島を揺るがす巨大組織の原点となります。
後藤組が全国区へと飛躍した契機は、1980年代半ばに勃発した山一抗争でした。山口組が四代目体制から一和会と全面対決へ突入するなか、後藤組は電光石火の攻撃力を発揮し、武闘派としての武名を決定づけます。その後、五代目山口組体制(渡辺芳則組長)の発足とともに直参(直系組長)へと昇格。東京進出の先鋒役を務め、渋谷や新宿などの一等地に拠点を構えながら、バブル経済の波に乗って不動産・金融・企業舎弟を通じた巨額の資金力を築き上げました。