童謡からたちの実は生で食べられる?驚きの薬効と白秋の歌詞の真相
日本人の琴線に触れ続ける名曲『からたちの花』。「からたちの花が咲いたよ 白い白い花が咲いたよ」「からたちのとげはいたいよ 青い青い針のとげだよ」「からたちも秋はみのるよ まあるいまあるい黄の金だよ」と歌い継がれるこの詩は、詩人・北原白秋が作詞し、西洋音楽の巨匠・山田耕筰が作曲を手掛けた近代歌曲の最高峰です。この名曲において、からたちの実は単なる秋の風物詩ではなく、人間の孤独と苦難を昇華させる象徴として描かれています。
当時の自著や手記によると、山田耕筰は幼少期に父親を亡くし、十代の初めに東京・芝の活版印刷工場(自営会)へ丁稚奉公同然に預けられるという過酷な少年期を過ごしました。冷遇と重労働に耐える日々の中、工場の敷地を囲んでいたのが、部外者の侵入と少年の脱走を阻むかのように生い茂る「からたちの生け垣」でした。山田は晩年の回想録の中で、鋭い棘を見ては流した涙と、秋に実る黄金色の果実に救いを求めた心情を生々しく語っています。白秋はその哀切な身の上話に深く心を打たれ、耕筰の魂を慰めるためにこの詞を書き下ろしたと伝えられています。
植物学的な観点から見ると、からたちの棘が存在する理由は、草食動物などの外敵から自らの葉や若い芽、そして実を守るための進化の結果です。剪定を怠れば数センチにも及ぶ堅牢な棘が枝全体を覆い尽くします。江戸時代から昭和初期にかけて、日本の武家屋敷や農村でからたちが防犯用の生け垣として重宝されたのも、その鋭いトゲが放つ絶対的な拒絶力ゆえでした。過酷な痛みを伴う棘の枝先に、やがて芳香に満ちた黄金の実が宿る——名曲の詞には、耐え忍ぶ日々の果てに成熟を迎えるという、普遍的な人生の心理的カタルシスが美しく封じ込められているのです。