江戸三大改革の成敗を分けた真相|吉宗・定信・忠邦の誤算と現代への警鐘にまつわる役立つ知識を詳しく紐解きます。
日本史の学習や教養として江戸三大改革を整理する際、絶対に外してはならないのが「田沼意次の政治」を挟み込んだ時系列の把握です。多くの人が「享保→寛政→天保」と単に言葉の響きだけで暗記しようとし、政策の因果関係を見失いがちですが、歴史の潮目は「重農主義」と「重商主義」の間で振り子のように揺れ動いていました。
覚え方としては、頭文字を取った王道の「きょう(享保)・かん(寛政)・てん(天保)」に加え、その間に「田沼(たぬま)」を挟む「今日(享保)、田沼と、完成(寛政)を、テンポ(天保)よく待つ」というリズムが最も定着しやすい手法として知られています。農の振興(吉宗)から商業利用(田沼)へ舵を切り、その反動で緊縮道徳(定信)へ戻り、再び緩んだ文化文政時代を経て最後の強権統制(忠邦)に至るという力学を意識すると、各改革の必然性と限界が手に取るように分かります。
改革名・時期主導者と基本姿勢主要な政策・施策結果・財政への影響と結末享保の改革
(1716〜1745年頃)8代将軍 徳川吉宗
【実利主義・農政改革】・上げ米の制、足高の制
・新田開発の推進、定免法の導入
・公事方御定書の制定
・目安箱の設置(小石川養生所など)幕府の年貢米収入が大幅に改善し、財政は一時的に立ち直る。一方で厳しい増徴と定免法により農民負担が増大し一揆も頻発。田沼の政治
(1767〜1786年)
※三大改革の間側用人・老中 田沼意次
【重商主義・商業資本活用】・株仲間の結成奨励と冥加金の徴収
・長崎貿易の拡大(銅・俵物の輸出)
・印旛沼・手賀沼の干拓事業着手貨幣経済をフル活用し幕府歳入を増やすも、浅間山噴火や天明の大飢饉、賄賂政治への激しい批判が重なり失脚。寛政の改革
(1787〜1793年)老中首座 松平定信
【理想主義・朱子学規律】・棄捐令による旗本の借金免除
・囲米の制、旧里帰農令
・七分積金(都市防災基金)
・寛政異学の禁、厳格な風俗・出版統制幕府の穀物備蓄や防災体制は整ったが、金融引き締めと極端な道徳統制が経済停滞と社会の息苦しさを生み、約6年で辞任。天保の改革
(1841〜1843年)老中首座 水野忠邦
【強権統制・軍備財政再編】・株仲間の解散令(物価引き下げ目的)
・人返しの令(江戸流入者の強制送還)
・寄席や娯楽の徹底弾圧
・上知令(江戸・大坂近郊の幕府直轄化)株仲間解散で経済・物価が大混乱。庶民から激しい反発を受け、上知令への猛反対で完全に孤立。わずか2年数ヶ月で失脚。