デヴィ夫人の母・政子さんの壮絶生涯|足の障害と極貧、弟の自死まで
デヴィ夫人(本名:根本七保子/ねもと・なおこ)は1940年(昭和15年)、東京市麻布区霞町(現在の東京都港区西麻布)で生まれました。当時の根本家の家族構成は、大工の棟梁を務めていた父・根本兵七郎(ひょうしちろう)さん、母・政子さん、七保子さん、そして3歳年下の弟・八曾男(やすお)さんの4人家族でした。
港区麻布といえば現在でこそ屈指の高級住宅街ですが、戦中から終戦直後にかけての一帯は空襲で焼け野原となり、長屋が密集する庶民の町でした。根本家の暮らしぶりは日々の食事にも事欠くほどの極貧状態で、雨が降れば雨漏りする粗末な長屋で肩を寄せ合って暮らしていたといいます。
一家の大黒柱であるはずの父・兵七郎さんは、気風のいい職人気質であったものの、晩年は病気を患って視力を失い、満足に働くことができなくなりました。そのため、家計の重責は必然的に母・政子さんの双肩にかかることとなったのです。