秋良連合会の現在と組織図を徹底解剖|秋良東力会長の経歴と噂の真相
秋良連合会のルーツを辿る上で外せないのが、関西屈指の武闘派組織として君臨した太田興業と秋良連合会の継承関係です。太田興業を率いた太田守正組長は、初代健竜会副会長や二代目山健組直参を経て、三代目山健組では若頭補佐や舎弟頭を歴任した大物幹部でした。2005年には組織名を「太田会」へと改称して五代目山口組の直参へ昇格し、後に再び太田興業へと復称しています。
しかし、2008年10月に発生した「後藤組(後藤忠政組長)の処遇問題」において、執行部方針を批判した太田守正組長は除籍処分を受け、そのまま引退を表明することとなりました。この激動の局面で立ち上がったのが、太田興業で組長代行や太田塾塾長を務めていた秋良東力氏でした。
秋良東力会長の経歴において最大の転機となったのが、太田守正氏の引退直後である2008年11月の六代目山口組直参への昇格です。地盤と傘下組織を速やかにまとめ上げ、名跡を「秋良連合会」へと改称。山健組系列の有力組織から六代目山口組直系へと円滑に組織を移行させた手腕は、当時の執行部からも高く評価され、後に直参から幹部への昇進を果たす礎となりました。