大分銘菓ざびえるの真実!倒産から奇跡の復活劇と金銀の決定的な違い

大分銘菓ざびえるの真実!倒産から奇跡の復活劇と金銀の決定的な違いを徹底追究! 知っておきたい 重要ポイントを凝縮して配信します。

大分の歴史を語るうえで欠かせない存在である大分銘菓ざびえるが産声を上げたのは、戦後復興の息吹が残る1953年(昭和28年)のことでした。当時、大分市街地で勢力を誇っていた老舗和洋菓子メーカー「合資会社ハトヤ」が、南蛮貿易の玄関口として栄えた大分の歴史的ストーリーを菓子に託して開発。バターがまだ貴重だった時代に、芳醇なバターを使った洋風皮で上質な白餡を包むという画期的な製法は瞬く間に評判を呼び、大分を代表するトップブランドへと駆け上がりました。

しかし、半世紀近く順風満帆に見えた歴史は、2000年(平成12年)10月に突如として暗転します。親会社であったハトヤが多額の負債を抱えて自己破産を申請。創業以来の看板商品であったざびえるも、製造ラインの停止とともに店頭から完全に姿を消してしまったのです。県内の主要駅や観光地から馴染みの黒い箱が消滅した光景は、地元経済界のみならず大分県民全体に深い喪失感を与えました。

そこで立ち上がったのが、ハトヤで長年現場を支えてきた専務や工場長をはじめとする元従業員たちでした。「自分たちの手で育て上げてきた大分の誇りを、このまま終わらせるわけにはいかない」――その熱い想いに呼応するように、地元メディアが窮状を報じると、県内外から「ざびえるをもう一度食べたい」「なんとか復活させてほしい」という激励の手紙や1万人を超える再建嘆願の署名が寄せられました。

元従業員7名が退職金や私財を投げ打って2001年4月に「ざびえる本舗」を新設。競売にかけられていた製造機械を買い戻し、当時のレシピと職人の勘を総動員して味の完全再現に挑みました。倒産からちょうど1年後の2001年10月、ざびえるは見事に店頭へと返り咲きます。販売再開初日、大分市内の百貨店には開店前から長蛇の列ができ、用意された数千箱がわずか数時間で完売したというエピソードは、地域社会と銘菓の絆の深さを物語る伝説として今も語り継がれています。

前田 葵

前田 葵

サステナビリティ研究家

マーケティングと消費者心理のトレンドを分析し、現代のヒット商品の背景を読み解きます。