親不孝通りはなぜ改名され復活した?2026年現在の治安と街の真実

親不孝通りはなぜ改名され復活した?2026年現在の治安と街の真実について見逃せない 事実を分かりやすい構成で解説いたします。

福岡市中央区舞鶴1丁目を南北に貫く約400メートルの通り(正式名称:市道舞鶴薬院線/天神よろず町通り)が「親不孝通り」と呼ばれるようになったルーツは、1970年代前半の予備校集積に遡ります。

当時、この通り周辺には水奈予備校や九州ゼミナール(後の駿台予備学校福岡校など)、水落予備校といった有力予備校が相次いで校舎を構え、ピーク時には年間1万人を超える浪人生が通学していました。親から学費や仕送りをもらいながらも、講義の合間に通りの喫茶店で時間を潰し、麻雀やパチンコに興じる若者たちの姿を見た近隣の飲食店主や地元住民が、「親不孝者たちが集まる通り」と親しみや自嘲を込めて呼び始めたのが発祥です。

1980年代に入ると、バブル経済の波に乗って街の性質は大きく変貌を遂げます。1986年には総床面積数千平方メートルを誇る巨大ディスコ「マリアクラブ」が誕生し、全国のクラバーや芸能人が集まる一大ナイトスポットへと急成長しました。予備校生が集う哀愁の漂う路地は、ライブハウス「DRUM Be-1」「DRUM LOGOS」などを擁する九州屈指の音楽・ユースカルチャーの発信拠点へと進化を遂げたのです。

池田 達也

池田 達也

マネー&キャリアエディター

Webメディアでの編集・執筆歴10年。読者の好奇心を刺激するストーリー作りを心がけています。