徳川慶喜は大坂城からなぜ敵前逃亡した?大政奉還の裏と子孫の今
インターネット上で徳川慶喜について検索すると、事実とは異なる誤解や極端な言説が散見されます。ここで代表的な3つの誤解を正しておきましょう。
- 誤解1:慶喜はずっと軟禁状態で不遇な一生を終えた?
事実:謹慎期間は明治2年(1869年)までの約1年余りに過ぎません。その後は静岡で自由気ままに趣味を満喫し、晩年は最高爵位である「公爵」に叙せられ、貴族院議員として名誉ある余生を送っています。 - 誤解2:勝海舟とは生涯の大親友だった?
事実:勝海舟は江戸無血開城を成し遂げた立役者ですが、慶喜の「大坂城脱出」に対しては終生批判的な視点を持っていました。二人は幕府を救う目的で利害が一致していましたが、個人的な感情としては一定の距離を保ち続けていました。 - 誤解3:大政奉還によって徳川幕府は完全に滅びた?
事実:大政奉還の時点では、慶喜は依然として日本最大の領主(約400万石)であり、新政府の実質的な指導者にとどまる予定でした。幕府という制度が完全に消滅したのは、その後の「王政復古の大号令」と戊辰戦争の敗北によるものです。