波留敏夫の現在と退任の真相|マシンガン打線伝説と激怒の真意
波留敏夫氏の野球人生を語る上で欠かせないのが、1990年代後半に一世を風靡した横浜ベイスターズの黄金期です。京都府出身の大谷高校、社会人野球の熊谷組を経て、1993年ドラフト2位で横浜に入団した波留氏は、俊足強打の外野手として頭角を現しました。
特に歴史へ名を残したのが1998年です。1番・石井琢朗、2番・波留敏夫、3番・鈴木尚典、4番・ロバート・ローズ、5番・駒田徳広、6番・佐伯貴弘、7番・谷繁元信、8番・進藤達哉という、どこからでも連打が飛び出す脅威のマシンガン打線において、波留氏はアグレッシブな2番打者として相手投手に強烈なプレッシャーを与え続けました。当時の常識であった「2番=手堅い送りバント」という固定観念を覆し、積極果敢にヒッティングで好機を拡大していくスタイルは、まさに優勝の起爆剤となったのです。
その後、2001年シーズン途中に中日ドラゴンズへトレード移籍し、さらに千葉ロッテマリーンズへと渡り歩いた末、2004年に惜しまれつつ現役を引退。泥臭くユニフォームを汚しながらグラウンドを駆けるプレースタイルは、のちの指導者としての原点となりました。