葛飾北斎の娘「お栄さん」の真実|天才絵師・葛飾応為の生涯と失踪の謎

葛飾北斎の娘「お栄さん」の真実|天才絵師・葛飾応為の生涯と失踪の謎の概要と注目ポイントをわかりやすく整理しました。

葛飾応為こと「お栄」は、寛政年間(1790年代半ばから後半頃)に葛飾北斎の三女として江戸に生を受けました。幼少期から画狂の父の背中を見て育ち、自然と筆を握るようになったお栄は、早くからその非凡な才能を開花させていきます。

彼女の気性は極めて豪快で、父親譲りの頑固さと職人気質を備えていました。一度は絵師である堤等明の門人・南沢等明のもとへ嫁ぎますが、夫が描いた絵の拙さを鼻で笑って批評したことが原因で離縁されたという逸話が、明治の美術史家・飯島虚心が著した『葛飾北斎伝』に記録されています。当時の武家・町人社会において、夫の面子を潰して実家に戻る女性は極めて異例でしたが、お栄にとって絵画に対する妥協なき美意識は、世俗の結婚生活よりも遥かに重いものだったのです。

実家に戻ったお栄は、再婚することなく北斎の「相棒」として同居を再開します。北斎門下の露木為一が残した『北斎仮宅之図』には、散らかり放題の部屋のなか、布団をかぶって絵を描く老いた北斎と、その傍らで煙管(キセル)をくゆらせながら父を見つめるお栄の姿が克明に描かれています。二人は家事や料理を一切行わず、食事はすべて出前で済ませ、部屋がゴミで埋め尽くされると引っ越しを繰り返すという破天荒な生活を送りながら、互いの芸術を極限まで高め合いました。

加藤 愛美

加藤 愛美

エンタメ専門ジャーナリスト

マーケティングと消費者心理のトレンドを分析し、現代のヒット商品の背景を読み解きます。