日本三大名湯はなぜ選ばれた?草津・有馬・下呂の泉質と歴史を徹底解明
「日本三大名湯」の起源を紐解くと、江戸時代初期の儒学者・林羅山(はやしらざん)の存在に行き着きます。徳川将軍家4代に仕えた最高峰の知識人である羅山は、寛永年間に著した『林羅山詩集』の中で、次のように記しています。
「諸州に温泉多しといえども、下野の草津、摂津の有馬、飛騨の湯島(下呂)、この三つを天下の三名泉と為す」
実は、羅山がこの記述を残す約130年前の室町時代後期(1488年)にも、五山文学を代表する僧侶・万里集九(ばんりしゅうく)が自身の詩文集『梅花無尽蔵(ばいかむじんぞう)』において、全く同じ3つの温泉を「天下の三名泉」として挙げていました。羅山は万里集九の評価を踏襲しつつ、実際に各地を訪れてその卓越した効能と湯量の豊かさを再検証し、後世へと決定づけたのです。
当時の交通事情において、群馬、兵庫、岐阜という遠隔地にありながら、身分を問わず全国から湯治客が殺到していた事実は、単なる一時的なブームではなく「確かな治療効果」が現場で実証されていたことを意味します。湧出量の豊富さ、皮膚病や関節痛を癒やす圧倒的な薬効、そして湯治場として栄えた活気あるインフラの3拍子が揃っていたことこそ、羅山が絶賛を惜しまなかった最大の理由です。