山田太一が遺した名作と名言の深層|晩年の真相と盟友・倉本聰の絆
山田太一の経歴を語る上で欠かせないのが、映画会社・松竹での下積み時代です。早稲田大学教育学部国語国文学科を卒業後、1958年に松竹大船撮影所に入社。日本映画界の巨匠・木下惠介監督の助監督を務め、脚本の骨格と人間観察の眼を叩き込まれました。1965年に独立してフリーの脚本家となって以降、日本のホームドラマの常識を次々と打ち破っていきます。
数あるドラマ一覧の中でも、テレビドラマ史に刻まれる金字塔が『岸辺のアルバム』(1977年、TBS系)です。多摩川の水害という現実の災害をクライマックスに据え、一見平穏に見える中流家庭の内側に潜む不倫や嘘、家族の亀裂を冷徹に描き出しました。「家族は無条件に温かいもの」というそれまでのテレビの欺瞞を粉砕し、辛口のリアリズムを定着させた記念碑的作品です。
また、鶴田浩二が元特攻隊員のガードマンを演じた『男たちの旅路』(1976〜1982年、NHK)では、戦争を経験した世代と戦後生まれの若者との断絶、車椅子利用者の社会参加など、当時タブー視されがちだった社会矛盾に鋭くメスを入れました。山田太一の代表作は、単なる娯楽にとどまらず、社会批評の役割を一身に担っていたのです。