1940年幻の東京五輪はなぜ返上された?中止の真相と知られざる歴史
Q1:1940年オリンピックの公式な扱いは「中止」ですか?「返上」ですか?
A1:日本の立場としては、1938年7月に開催権をIOCへ返還したため「自主返上」となります。しかし、その後に代替開催地となったヘルシンキも第二次世界大戦によって開催を断念したため、IOCの公式記録上は「第12回大会 中止(Cancelled)」として記録されています。
Q2:嘉納治五郎が招致に執念を燃やした理由は何だったのですか?
A2:嘉納はオリンピックを単なるスポーツ大会ではなく、東西文明の融合と国際平和を促進するための最高峰の文化事業と捉えていました。国際連盟脱退によって世界から孤立しつつあった日本を再び平和的な国際協調の枠組みにつなぎ止めるため、命を削って招致活動を率いました。
Q3:1940年大会のために作られたポスターや記念品は残っていますか?
A3:和田三造がデザインした第1回公式ポスターや各種パンフレット、寄付金付きの記念入場券などは現存しており、秩父宮記念スポーツ博物館や各地の公文書館などに貴重な歴史資料として所蔵・展示されています。