坂本冬美『また君に恋してる』奇跡のヒットの真相と誕生の舞台裏
演歌歌手によるポップスカバーが、なぜこれほどまでに巨大な商業的成功と社会的評価を勝ち取ることができたのでしょうか。その最大の要因は、「徹底的な引き算の美学」による歌唱表現の再構築にありました。
坂本冬美といえば、『あばれ太鼓』や『夜桜お七』に見られるような、ダイナミックな声量、切れ味の鋭い節回し、情念を揺さぶる「こぶし」が代名詞です。しかし、名匠・若草恵のアコースティックなアレンジに乗せるにあたり、彼女はこれら演歌の武器を完全に封印しました。息を多く含ませたウィスパーボイスに近い発声と、母音を柔らかく響かせるファルセット(裏声)を多用することで、聴き手の耳元で語りかけるような親密な響きを生み出したのです。
さらに、当時の音楽流通環境の変化も見逃せません。2009年から2010年にかけては、着うたフルをはじめとする音楽配信サービスが急速に普及した時期でした。通常、演歌・歌謡曲のリスナー層はCDパッケージの購入が中心でしたが、『また君に恋してる』はデジタル配信チャート(レコチョク等)で演歌歌手として史上初となる総合1位を獲得。デジタル配信累計で数百万ダウンロードを突破し、CDセールスと配信の両輪で数字を伸ばすという、従来の業界構造を覆す現象を起こしました。
さらに、NHK紅白歌合戦における2009年・2010年の2年連続披露が決定打となりました。艶やかな和装姿で凛と立ちながら、現代的なアコースティックバラードを透明感あふれる声で歌い上げる姿は、視覚と聴覚の鮮やかなギャップを生み出し、老若男女の幅広い視聴者層に決定的な印象を刻みつけました。