日本の昔の国旗はどう違う?日の丸誕生の歴史と知られざる変遷の真相

日本の昔の国旗はどう違う?日の丸誕生の歴史と知られざる変遷の真相について見逃せない ポイントを厳選して解説いたします。

中世から近世にかけて、日本国内には数多くの旗が存在していましたが、それらはすべて「個別の武家や権力者を示す印」であり、国家全体を束ねる旗ではありませんでした。

戦国時代、武将たちは自軍の存在感を戦場で誇示するため、独自の家紋や旗印を掲げました。興味深いことに、源氏の末裔を称する多くの戦国大名が日の丸の意匠を取り入れています。例えば、甲斐の武田信玄が所用したと伝わる「日の丸の御旗」(現・雲峰寺所蔵)や、徳川家康が陣旗として用いた白地に赤丸の旗などが代表例です。伊達政宗も黒地に金丸をあしらった旗を用いるなど、太陽の意匠は武将たちにとって特別な意味を持ち続けていました。

一方、朝廷や天皇の権威を象徴する特別な旗として歴史を動かしたのが「錦の御旗(にしきのみはた)」です。

錦の御旗は、菊花紋章や太陽・月を金銀で刺繍・描画した赤地の豪華な織物旗で、朝廷から官軍の証として下賜されました。特に有名なのが幕末の1868年、戊辰戦争の幕開けとなった「鳥羽・伏見の戦い」です。薩摩・長州を中心とする新政府軍がこの錦の御旗を掲げた瞬間、旧幕府軍は一転して「朝敵」となり、戦局と歴史の流れが決定づけられました。

池田 達也

池田 達也

マネー&キャリアエディター

Webメディアでの編集・執筆歴10年。読者の好奇心を刺激するストーリー作りを心がけています。