郵便マーク「〒」誕生の真相と出し方全解説!誤植説の真偽と入力法

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日本の郵便サービスを象徴する「〒」マークは、いつどのようにして生まれたのでしょうか。時計の針を明治初期へと巻き戻すと、現在も2月8日の「郵便マークの日」として語り継がれる歴史的転換点に行き当たります。

明治政府において郵便や電信を管轄していたのは逓信省(ていしんしょう)でした。逓信省は1887年(明治20年)2月8日付の官報において、「告示第11号」を公布します。そこには「今より(T)字形を以て本省全般の徽章とす」と明記されていました。つまり、当初は逓信の頭文字であるアルファベットの「T」を組織のシンボルに定めたのです。

ところが、わずか6日後の2月14日、官報の告示第15号で突如として異例の訂正が出されます。「過日告示第十一号中『T』とあるは『〒』の誤りにつき訂正す」という、前言を撤回する短い一文でした。公的な告示がわずか数日で覆されたこの珍事が、後世に語り継がれる「郵便マーク誤植説の経緯」の発端となりました。

この劇的な修正を巡っては、当時から現代に至るまで主に2つの有力な説が議論されてきました。

  • 仮説A(単純誤植・取り繕い説):本来はアルファベットの「T」にする予定だったが、印刷段階で誤って棒が1本多い「〒」の形で刷り上がってしまった。しかし官報で公表してしまった手前、面目を保つために「最初から〒の予定だった」と訂正を出して帳尻を合わせたという説。
  • 仮説B(国際基準抵触・デザイン変更説):逓信の「テ」を図案化した「〒」を考案していたものの、公示段階で誤って「T」と記載された。あるいは「T」に決めた直後、万国郵便連合(UPU)の国際郵便規則において「T」が「料金未納・不足(Taxe)」を表す標識として広く流通している事実が発覚し、急遽棒を1本加えて日本の独自記号「〒」へと差し替えたという説。

郵政博物館に保管されている記録や日本郵便の公式見解を踏まえると、逓信省の「テ」を図案化する構想が元々存在した記録が残っており、現在では「T」の国際的意味合いとの混同を避けるための設計変更、および告示原稿の取り違えが重なった結果であるという見解が有力視されています。公文書の訂正という前代未聞のトラブルを乗り越え、この記号は130年以上の時を経て日本社会に定着していきました。

小林 直樹

小林 直樹

トレンドリサーチャー

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