漢江の奇跡はなぜ起きた?日本の支援の真相と光と影を徹底検証
第二次世界大戦後の西ドイツにおける劇的な復興が「ライン川の奇跡」と称されたことになぞらえ、ソウルの中心を東西に貫く漢江にちなんで命名されたのが「漢江の奇跡」です。狭義には朴正熙(パク・チョンヒ)政権が誕生した1960年代初頭から1980年代末、あるいは1996年のOECD(経済協力開発機構)加盟に至るまでの急速な高度経済成長期を指します。
1953年の朝鮮戦争休戦当時、朝鮮半島の産業基盤は壊滅的な打撃を受けていました。植民地時代に建設された重工業設備や発電施設の多くは北部に偏在していたため、南部の韓国側には目立った産業がなく、1960年代初頭の1人当たり国民総生産(GNP)は100ドルに満たない水準でした。これは当時のアフリカ諸国と同等、あるいはそれ以下の極貧状態です。
ところが、1960年代後半から経済の歯車が急速に回り始めます。繊維や靴などの軽工業品輸出からスタートした韓国経済は、鉄鋼、造船、石油化学、自動車、そして電子機器へと産業構造を驚異的なスピードで高度化させました。1988年のソウル五輪開催、そして2002年の日韓ワールドカップを経て、韓国は世界のサプライチェーンに不可欠なハイテク工業国へと脱皮を遂げたのです。