細木数子とヤクザの黒い噂の真相!銀座時代とテレビ降板の全幕内
細木氏の並外れた度胸と裏社会への耐性は、幼少期から青年期にかけての原体験によって形作られました。終戦直後の東京・渋谷で、両親がカフェーやおでん屋を営んでいた環境から、彼女は安藤昇氏率いる「安藤組」をはじめとする不良グループの息吹を肌で感じて育ちます。この細木数子 経歴と過去の土台が、後の銀座での台頭を支えました。
1950年代後半、弱冠20歳前後で銀座の止まり木に足を踏み入れた細木氏は、名門クラブ「姫」などで頭角を現し、やがて自らのクラブをオープンさせます。この細木数子 銀座クラブ時代において、彼女は単なるホステスにとどまらず、政財界人や興行関係者、裏社会の大物が入り乱れる夜の社交場で情報と利権のハブとしての地位を築き上げました。
その人脈の頂点に存在したのが、「政財界の黒幕」と呼ばれた児玉誉士夫氏です。ロッキード事件の主犯格としても知られる児玉氏の晩年、細木氏は側近として深く食い込み、身の回りの世話から私財の管理にまで関与しました。後にジャーナリスト陣の取材に対し、彼女自身が「児玉先生をお酒で殺した(衰弱させた)」と豪語したという異様な逸話が残されているほどです。児玉氏の死後に勃発した遺産相続や借託金を巡る争訟においても、彼女は裏社会の威力を背景にしたとされる強引な立ち回りで、莫大な実利を手中に収めていきました。