秀吉を天下人にした両兵衛|黒田官兵衛と竹中半兵衛の真実
歴史愛好家の間で長年議論され続けているのが、「黒田官兵衛と竹中半兵衛はどっちがすごいのか」という命題です。結論から言えば、双方は軍師・参謀として発揮した専門領域が根本から異なっており、単純な優劣ではなく「局面ごとの圧倒的な強み」に違いがありました。
竹中半兵衛(重治)は、わずか十数名で難攻不落と謳われた稲葉山城(後の岐阜城)を占拠したエピソードに象徴されるように、戦局を一瞬で覆す「神懸かり的な戦術・調略の閃き」を持つ天才でした。私心や野心が極めて薄く、主君に対しても無私奉公を貫く姿勢は、織田信長や豊臣秀吉からも純粋な軍師として絶大な信頼を寄せられました。
対して黒田官兵衛(孝高)は、播磨の地勢や大名間の力関係を俯瞰し、外交交渉・兵站・心理戦を緻密に組み立てる「大局観に基づいたグランドデザイン(大戦略)の構築」に長けていました。中国大返しを瞬時に立案・実行させた手腕や、晩年に九州平定戦で見せた軍事行動は、一武将の枠を超えて「天下を狙える器量」を感じさせるものでした。