創価学会と中国の深い関係なぜ?太いパイプの真相と歴史的背景を徹底解説
創価学会と中国の関係を理解する上で、すべての出発点となるのが1968年9月8日に発表された「日中国交正常化提言」です。当時、創価学会の第3代会長(後に名誉会長)であった池田大作氏が、学生部総会において公式に発表したこの提言は、当時の日本の政界や論壇に大きな衝撃を与えました。
1960年代後半といえば、東西冷戦の真っ只中であり、中国国内は文化大革命の混乱期にありました。日本国内でも中国を敵視する論調が根強く、国交正常化を公然と主張することは右翼団体からの激しい反発や政治的バッシングを招く極めてリスクの高い行為でした。池田氏は自著や当時の手記の中で、「非難の嵐が吹き荒れることは百も承知であったが、アジアの恒久平和のために誰かが突破口を開かねばならなかった」とその覚悟を述懐しています。
提言の柱は以下の3点でした。
- 中国の存在を正式に承認し、国交を正常化すること
- 国連における中国の正当な代表権を回復させること
- 日中間の貿易・文化・人的交流を全面的に推進すること
この提言はすぐさま北京の指導層に届き、当時首相を務めていた周恩来(シュウ・オンライ)氏が強い関心を示しました。周首相は「民間から立ち上がった勇気ある声」として高く評価し、後の1972年に行われた田中角栄首相(当時)による日中国交正常化の地ならしとして決定的な役割を果たすことになります。
そして1974年12月5日、闘病中であった周恩来総理と池田氏による「歴史的会見」が北京の305病院で実現しました。医師団の制止を振り切って会見に臨んだ周総理は、「池田会長とはどうしても会っておきたかった。日中友好の未来を青年たちに託したい」と語りかけたと記録されています。中国の政治文化において「井戸を掘った人を忘れない(吃水不忘挖井人)」という諺がありますが、創価学会はこの歴史的経緯によって、中国共産党の歴代指導部から「最も困難な時代に友情を示した特別な存在」として認識され続けているのです。