王貞治を支え抜いた妻・王恭子の生涯|遺骨事件の真相と家族の絆
王恭子氏(旧姓:小八重恭子)は、東京・下町の格式ある家庭で育ちました。王貞治氏との出会いは巨人の若手ホープとして頭角を現し始めていた1960年代初頭。知人の紹介を通じて知り合った2人は、静かに愛を育み、一本足打法で本塁打を量産し国民的スターへと駆け上がっていた1966年12月に結婚を発表しました。
当時の報道写真に残る恭子夫人は、落ち着いた和服姿が似合う気品あふれる女性であり、国民的英雄の伴侶として申し分ない存在感を放っていました。しかし、華麗なスポットライトを浴びる夫とは裏腹に、私生活では想像を絶する重圧と向き合う日々が始まります。
「遠征から帰宅した夫には一切野球の愚痴を言わせない」「常に万全の体調で打席に立てるよう、食事の塩分や栄養バランスをミリ単位で計算する」――これらは後に球界関係者や家族の手記で明かされた恭子夫人の日常です。年間130試合以上を戦い、スランプに陥れば日本中から批判を浴びるプレッシャーの中にあった王氏にとって、恭子夫人が築き上げた家庭は唯一の絶対的な安全地帯でした。現役引退、そして巨人・ダイエー(現ソフトバンク)での監督就任に至るまで、35年間に及ぶ献身的なサポートが「世界のホームラン王」の屋台骨となっていたのです。