大分・青の洞門の歴史と現在|手掘りの理由や通行状況を徹底解説
青の洞門が位置する大分県中津市本耶馬渓町の一帯は、奇岩怪石が連なる名勝・競秀峰(きょうしゅうほう)の麓にあります。かつてこの地を通る旅人にとって、山国川の激流と切り立つ断崖に挟まれた「鎖渡し(くさりわたし)」と呼ばれる岩壁は、まさに命がけの難所でした。
岩肌に打ち込まれたわずかな鎖や桟橋を頼りに、足を滑らせれば激流へと転落して命を落とす人が後を絶ちませんでした。人だけでなく牛馬の滑落事故も日常茶飯事であり、地域住民や参拝客にとって長年の恐怖となっていたのです。
享保15年(1730年)、諸国巡礼の旅の途中でこの地に立ち寄った越後国出身の僧・禅海和尚は、目の前で起きた悲惨な転落事故に心を痛め、「ここに安全な道を掘り通すことこそが仏道の実践である」と一念発起します。周囲の村人からは「正気の沙汰ではない」「岩山に穴を開けるなど不可能だ」と冷笑されながらも、托鉢によって資金を集め、一人ノミと鎚を握って岩盤に立ち向かいました。
禅海和尚は夜昼問わず岩を砕き続け、その不屈の意志に心を打たれた地元住民や藩の支援、さらには雇い入れた石工たちの協力を得て、着工から30余年を経た宝暦13年(1763年)に全長約342メートル(うち隧道部分約144メートル)の洞門を全通させました。人の命を救うという純粋な慈悲と執念が、不可能な難所を希望の道へと変えた歴史的事実です。